桶屋

好きなものについてや日々思ったことです。大学3年生ってこんな感じだったな、って見返したい。

六文銭のあなた

六文銭の「あなた」は誰なのか。

 

 

MOROHA - 六文銭 / THE FIRST TAKE - YouTube

あなたがいた だから名曲

 

この曲を初めて聴いた時、聴きながら考えた。

始めのパートでは、具体的な人物を指しているように感じた。

MOROHAのほかの曲『バラ色の日々』を聴いたせいか、アフロの元恋人ではないかと思った。

 

優しいあなたは俺の手を握り
しめたりなどしなかった
代わりに床に散らばったペンを拾い集めては
強く固く握らせた
「やるんでしょう? やらなくちゃでしょ?知ってるよ 私は知ってるからね」
そう言って ひとりぼっちにしてくれた

https://lyricstranslate.com/ja/moroha-rokumonsen-lyrics.html

セリフもあるし、情景が想像できるほど具体的だ。

実際にあった夜なのではないか。

そして「私」という一人称で、女性かな、元恋人だろうな、と思い込んで曲を聴き進めた。

 

しばらく進んで、次のパート。

仮に命日をすっぽかしたっていいだろ
ふとした時に思い出すよ
お前を忘れるまで忘れない
遺骨の中に心はなかったらしいな
よかった ちゃんと 持ってったか

https://lyricstranslate.com/ja/moroha-rokumonsen-lyrics.html

亡くなった相手のことを歌っている。

(「遺骨の~」は個人的にすごく好きなリリック)

『バラ色の日々』を聴いた感じだと、元恋人は死別したわけではなさそうなので、これは別の相手ではないかと思った。

あと、「あなた」ではなく「お前」と呼んでいる。

一つ目のパートとは違った相手で、お前と呼べるくらい仲のいい、あるいは友人ではないだろうか。

 

ツイートで追悼? そんなのは野暮
だから アコギとラップ合わせ合掌

この部分で、もしかしたら音楽仲間かもしれない。と思った。

普段から夢を語り合って、高め合って、音楽を楽しんでいた仲間

そんな相手に送る言葉だから、音楽で。

あなたのことを思い出しながら、歌う曲、あなたの名前を呼びたくなる、だから名曲。切ない。

 

 

次のパート。これはわかりやすかった。

なぁUK 俺たちどこまでいけるかな?

そんな言葉から始まるパート。相方のUKに向けた言葉たちだった。

二人の今までの歴史は正直ほぼ知らないけど、

UKに対する感謝、信頼、大きな感情が詰まっていて、

こういうのに弱い私はめちゃくちゃぐっと来た。

あなたがいた。だから名曲。

きっとたくさんの困難をともにして、互いの存在のおかげで進み続けられるのだろう。友達にまっすぐ気持ちをぶつけることは恥ずかしくてむずかしいけど、それができる関係っていいなあと思った。

 

 

これ以降のパートは、たぶん、この曲を聴いているわたしたち。MOROHAの曲が好きな世界中の人たちのこと。

友達じゃない家族 恋人でもない 全員他人だ
なのに 同じ音 同じ時代に揺れて生きてそこにいる
それが奇跡 出来過ぎた奇跡だ
この国で五本指に入るラッパー
じゃなくていい MOROHA アフロは
あなたの握った拳の中だ
戦う気持ちの側にいるから

https://lyricstranslate.com/ja/moroha-rokumonsen-lyrics.html

曲を聴いて、心動かされた人たち、それをMOROHAに伝えたりライブに行ったりした人たちのことだ。このことにまた、アフロは心動かされている。

ファンにとって、こんな曲が出されて、こんなにうれしいことがあるだろうか。

MOROHAの言葉はまっすぐ胸に届く。素直な単純な表現じゃないけど、心に情景が浮かぶ、知ってる言葉遣いで、ストレートに心に入ってくる。

 

そんなMOROHAに、

「あなたがいた。だから名曲。」

なんていわれて、感動しないファンはいないだろう。

今までの曲を全部引っ提げて、わたしたちに希望を抱いて、

つらいとき、頑張らないといけない時、寄り添ってくれる。

MOROHAの言葉に救われた人が、何人いるだろう。

 

 

 

「あなた」は誰かひとりを指すのではなく、

いままでアフロが触れたたくさんの人の心、

これから届ける見たこともない人、

本当に本物の自分を信じてくれた人

全部を指して、「だから名曲。」と言ってくれた。

のかな~と思う。

 

本当にすべて憶測でしかないけど、憶測が止まらない。。

この曲めっちゃ好き。

 

2023.2

年の瀬の会話

久しぶりに、中学の同級生と会った。

年末のこういうイベントは、すこしそわそわするが、楽しみなものだ。

卒論が全然進んでいなくて大焦りするべき時期だが、

前々から決まっていた予定なので、割り切って参加した。

 

久しぶりだし、特に今年は来年の進路が決定した一年だったので、報告も多く会は盛り上がった。人生の分岐点でもあり、各々の持つ悩みも話して、さらに仲良くなった気がしてうれしかった。

頻繁に会えるわけではないが、たまに会うと昔のように戻って楽しく話せる、というのが独特の日常な気がして、大事にしたいと思う。

 

でも、お酒がまわっていたせいか、少し深入りした話題になってしまい、自分の発言を気にする。

進路の話はいいけど、家族の話はそれぞれ事情があるのだし、自分の家庭のこともそこまで言う必要がなかったかもしれない。

 

うちは裕福ではないがいい家族に恵まれて、家族には感謝しているし不自由を感じていない。強制されることも無くて、進路だって自分で選んだ道だ。

しかし、他の人の家庭の苦労をきくと、自分も苦労を話したくなって、本音と違うことを言ってしまった気がする。

自分と似た家庭出身の、家族の苦労よりも感謝を話すような友達と話したときは、自分の家族に対しての感謝を素直に話せた。

でもこれは、だれにでも気軽に話すような内容ではなくて、人によっては地雷になる場合があると思う。

 

今後は気を付けないといけない。

 

帰りの車もずっと話していた。

結婚願望はあるか聞かれた。

最近よく考えることが、

今の恋人とこれからも一緒にいたいということと

自分は子供を育てることができるのか

ということなので、つい話してしまった。

 

要すると「結婚はしてもいいが出産は自信がない」という内容を答えた。酔っていたので同じことを何回も言った気がする。

 

友達は「一人で死にたくないから結婚したい」とのことだった。

それを聞いてつい言ってしまったのが、

「しんどくなりながら長生きするよりも、楽しいうちに早く死にたい」という内容。

友達からはあまり共感がなかったので、もっと明るく話せばよかったかなと後悔する。

 

昨日の自分の発言を振り返って、これは常々頭をよぎる考えなので言ってしまったのだろうが、はたしてこれは自分にとって正しいのか疑問になった。

世界の正しさは多様なのは置いといて自分にとっての正しさ。

 

よく考えるとこれ、つらいことから逃げる自分の性格が表れている。

今も卒論から逃げて逃げて、ぎりぎりになっている。

逃げても良いことと逃げてはいけないことがあって、自分なりの判断はできる。

そのうえで逃げてはいけないことから逃げている。

 

老衰に伴う苦しみから逃げることは、自分にとって正しいのか。

老衰も病気も人生で自分が積み重ねたもので、それは逃げるべきものではなく理解し受容するべきものではないか。自分を肯定することにつながるし。

自分にとって経験は宝物で、大切にしたい。

そう考えると長く生きてたくさん経験することで充実した人生になるので、

早死にしてはもったいない。

 

あとは、若さによる価値が自分からなくなっていくのが怖かった。

でも、若くなくなっても、体型が変わっても、変わらず好きだと言ってくれる人と出会えた。

自分を愛してくれる人たちに感謝して一緒に過ごすためにも、早死にしたいなんて、正しくないかも。

 

楽しいこともつらいこともどっちも、たくさんたくさん経験して、世界でたった一つの人生を構成することが、人間の醍醐味ではないか。

 

よく考えると、まちがえたな。

お酒のせいの失敗として、今後はこんなこと言わないようにしよう。

でも楽しかった。また久しぶりに会ったときは、いろんな話をしよう。

 

卒論からも、そろそろ逃げたらだめだから。本当に。本当に

 

最近のモヤ解決

自分の人格について。

人格は勿論一つなのだが、最近は特に、自分の人格の側面をたくさん使い分けている感じがする。

今、なぜ心が疲れているのか考えてみる。

 

最近の私

①卒論の担当教授と話すときの私。

②研究室の人と話す私。

③バイト先の店長と話す私。

④バイト先の後輩と話す私。

⑤バイト先の同期と話す私。

⑥バイト先の先輩と話す私。

⑦サークルの友達と話す私。

⑧サークルの後輩と話す私。

⑨高校の友達と話す私。

⑩恋人と話す私。

⑪家族と話す私。

⑫パン、工芸好き仲間と話す私。

⑬まだ会って間もない人と話す私。

⑭内定者としての私。

 

このうち楽に話せるのは⑤、⑨、⑩、⑪、⑫。

今までは人格の側面の使用量がバランスよくなっていたのかもしれないが、

最近は疲れる側面ばかり使っていて、

あまり会話を楽しめていない気がする。

すべてのコミュニティで自分100%を出すのは不可能だが、

あまりにも自分らしさを出せていなくて

自分の本質って何?になってしまった。

 

中学時代、人にどう思われるか、ということがとても気になっていた。

それが今も行動の根底に根付いているみたいで、

反感を買ったり迷惑になったりするようなことを基本しないところは

常識的でいいところだと思うけど

最近、人格の見え方まで操ろうとしてしまっていないだろうか。

 

特に後輩に対してだが、本当の精神年齢以上に見られたがっている気がする。

年が離れて若い子と接するようになり、

私は〇歳も年が上なのだから、しっかりしないと。って頻繁に考えている。

 

自分が年齢だけ上がって、中身はあまり誇れるような成長をしていないのに。

経験が少し多いだけで、社交性とか状況判断力とか、技術とか、育成力が高いわけではなくて気も利かない。

それなのに頼れる先輩と思ってほしくて

表面と中身がちぐはぐになっている。

 

思い返せば、純粋にバイトを楽しめなくなったのは

時間帯責任者に昇格してからかもしれない。

みんなのお手本になるように、と店長からいわれ、いつも通り雑談するのがうしろめたくなったし、言葉を選んで選んで、という会話が増えた。

本当に言っていい言葉か?と立ち止まるのは良いことだと思うけど

まだそれが体になじんでなくてもやもやする。

 

無邪気に笑うことが減った。

純粋なリアクションができなくなった。

 

自分は性善説でだれとでも仲良くなれて、純粋な人間だ、というつかの間の自負は

齢22にしてヒビが入ったらしい。

 

 

ここからは、建設的な将来に向けて私がやるべきことを考えてみる。

まず一時的に疲弊した心を最短距離で回復する。

人生に浮き沈みはあるが、小さな沈みは早く解決するに越したことはない。

 

自分をとりつくろわない。というととっても難しいことに見えるが、

①から⑭すべての自分を統一させろということではない。

 

ただ、どの人と対面しても同じ対応の人は気持ちがいいものだ。そうなりたい。

自分なりにできる範囲なら、

どの人にもリスペクトを持ち、ポジティブ思考で接することができれば、と思う。

 

リスペクトはマジ大事。1人で思考するときはよく思うが、

日常で対人でそれが表れているかといわれると微妙だ。

普段からリスペクト心掛けて会話すれば、大体の人からの自分の印象にブレが生じにくいのではないか。

 

あとは、発言のポジティブ割合を高めに。

自己肯定感がちょい低なのはデフォルトなのであまり問題ではなくて、

自分の人格がもともと持っているポジティブ思考の部分を

なるべく表面に出したい。

 

これらは、人にポジティブに見られたい、という取り繕いではなく

自分の人格にあるポジティブ部分を見てほしい。という気持ち。

 

人によって態度を変えるのは、差別ではなく区別。これはずっと持っている考えで、

これと両立できる方法だと思う。

敬語や会話のテーマを使い分けはするが、

自分の発言の基本スタンスは統一する。

 

あとは、できないことに正直に。繕うって疲れるって気づいたからね。後輩に尊敬されなくても、自分に正直なほうが楽でしょう。お姉さんぶらないで、対等に接すればいいの。わかった!?

ただ教授に対しては開き直りみたいになっちゃうので最低限やれることやって面談に行きましょうね、毎回…

 

 

自分なりの解決策が出せた気がする。

はー、少しすっきり。

卒論進めよう。

MOROHA 救いについて

私は宗教を信仰しているわけではない。

神も仏もいないと思っている。

歴史を学んでいるとわかるが、人びとは昔から救いを求めて神に祈る。仏を信じる。

しかし神や仏がいないなら何が人を救うのか。

 

人を救うのは、人の心だ、と思う。

 

 

 

MOROHAの曲を聞いて。

ほんと安易だけどとても心にすとんと落ちたので、言葉にしたくなった笑

 

本当に聴いてよかった。めちゃくちゃ感動した。たまたまファーストテイクが流れてきて、ラッパーっぽいと思って再生したら、なんだこれ。あまり聞いたことのないタイプだ。え。え。となっている間に、完全にひきこまれて号泣。こんな曲があるんだって、出会えたことに本当に感謝。

MOROHA - 革命 / THE FIRST TAKE - YouTube

 

その後、MOROHAのほかの曲も聞いたけど、もれなく号泣。

この人たちはすごい、私と境遇が似ていたり考えが似ていたりはしないのに、

この人たちの言葉、音で、こんなにも揺さぶられる心がある。

 

 

私は今まで曲を聴くとき、歌詞よりは音の気持ちよさ重視だった。

ヒップホップを好きになってからは割と歌詞も聞くが、それでも音ノリがよい曲は魅力的に感じてしまう。

MOROHAの曲は、言葉に耳を傾けたくなる曲だと思った。

画面から目、いや耳が離せなくなる。心地いいギターの、人の心に語りかけるメロディーライン。歌い方。この人の言葉、聴かなきゃ。と無意識に思うのかな。自然と手が止まってのめりこんで聴いてしまう。完全に作業中に向いていない。

 

MOROHAの言葉、考え方、世界観、生き様を、もっと知りたい。そんな風に思わせられるアーティストだった。新しい出会いすぎて興奮して文字に起こしている。

 

 

コメントにあった。

「斜に構えて茶化そうと思えば茶化せる。でも、真剣にやってきたやつほどMOROHAの楽曲は茶化せない」

呂布さんの言葉。世論の評価もここに詰まっていそうだなと思った。

自分はどちらでもなく、斜に構えた思春期でもなければ必死に何かに取り組めたこともそんなに思い当たらない、中途半端な奴で、

そういう人も世の中にはたくさんいると思うが、そんな人にも響くものがある気がする。

 

こんな思いで頑張っている人もいるんだ、こんなつらい経験をしてもくじけず前を向いている人がいるんだ、自分が信じる道をがむしゃらに進める人がいるんだ、と思って感動した。でもこれはそんな単純な気持ちじゃない。

 

焦燥感。わたし、こんなに頑張れていない。こんなつらい経験もしていない。成果もあげていない。自分が進みたい道もわからない。

誰にも影響を与えていない…?

気づきたくなかったことに気づかされて、頑張らなきゃ、と思わされて、でもそんなに頑張れなくて絶望。

え、どうしよう。

で、MOROHAが言う。「どのツラ下げて何処へ向かうの」

MOROHA『tomorrow』Official Music Video - YouTube

 

 

 

MOROHA『四文銭』Official Music Video - YouTube

MOROHAは、ただずっと前向いて努力し続けたことを歌っているんじゃなく、苦しみ、葛藤、つらかったこと、懺悔、マイナスなことも包み隠さず歌った。

そういうところが、たくさんの人の心をつかんで揺さぶったのではないかな、と書きながら思った。

言葉選びもうまい。自分の体験から、感じたこと、考えたことをうまく抽象的に落とし込んで、自分と全然違う人なのに、自分もMOROHAの景色を味わったような気になってしまう。きっと本人が味わった感覚の何分の一ほどだけど、数分で胸が締め付けられる。

どれも必死に作った渾身の曲という感じがする。どのアーティストだって全曲魂込めているだろうけど、なんか身を削って作っている感じ。こんなに必死に何かを伝えている。聴かなきゃ。となるのはだからかもしれない。

 

 

最初の話に戻ると、人を救うのは人の心だって思ったのはこの曲を聴いて。

MOROHA - 六文銭 / THE FIRST TAKE - YouTube

 

優しさって人によって違って、優しさを持つ人もそれを受け取る人も、本当にいろんなありかたがある。なぐさめるのではなく、一人で立ち上がれるようはげますことも優しさ。この優しさを「けなげさ、いとしさ、痛み、怒り」と表現する、うけとった側もすごく優しい。

いろんな優しさがあるから、それが嚙み合ったときすごく心にしみるのだなとも思った。

 

人の想いに救われてばっかりだ。

 

MOROHAにしか歌えないなと思ったのは

「人は救われない」と歌ったのに、「あの歌に救われました」といわれ、

憎しみの歌が救われた。

「人は孤独だ」と歌ったら、孤独な人が歌を聴きに集まって、

他人同士でよりそった。

という部分。

すごいことだ。と思うが、こんな風に、人の想いに救われることは自分の人生にすごく納得がいく解釈だった。

つらいこと、苦しいこと、怒りや悲しみ、自分の経験はそんなに多くないけど、いつだって人の想いに支えられてここまでやってきた。

自分一人では思いつかないことや気づけないことも、周りの人がいるから解決の糸口が見つかる。

吐き出した言葉を聞いてもらうだけで救われる心もある。

 

サークルがつらかったとき、サークル外の友達や家族には何も言わず、ひとりで抱え込んで、毎日泣いて夜は眠れなかった。

いろいろ頑張ってやっとサークル行かなくてよくなったあと、帰省した時に母に報告した。

「わたし、サークルやめたん。つらくて」それだけ言って涙があふれてきてしまって、それ以上は話せなかったけど、

「そっか。頑張ったね」って言って、泣いてるのに気づかないふりして料理してた。

そのときでやっと肩の荷が下りたというか、つらくなってしまったこと、途中でやめてしまったことへの罪悪感が救われた、ような気がした。

 

 

人生で救いが必要なタイミングで、どうすれば救われるのか。

神や仏は救い専門だが、救い専門の人はいない。

でも、自分が大切に思う人がいるのなら、自分を大切に思ってくれている人もどこかにいるはず。意外なところにも。

タイミングとか、環境とか、さっきのいろんな優しさとかが噛み合ったとき、

救われた、と思うのかなと考えた。

経験はまだまだ浅い人間初心者ですが。

 

 

普段から思うが、自分の言葉、表現で他人に影響を与えられる人って、本当にすごいなと思う。かけがえのない才能だ。

 

でも、MOROHAみたいにはいかなくても、わたしでも誰かの心を救えるようなこと、あるのかもしれない。今もたくさんの人のおかげで生きているように、自分も誰かの人生に少し関わって、小さなことでも救うことができたら、どんなにうれしいだろう。

 

 

アフロ、UK、あなたたちならどこまでもいける。とびきりの母国語でどこまでも届くよ。

名曲をありがとう。

 

ひとり回転寿司

先週1人で回転寿司に行った。

行動範囲が広がると、自分の欲望に忠実になる。数日たったが、日記的に記録しておく。1人で回転寿司に行きたい欲を持っている人に共有したい。

 

前日にゼミの発表を終えた私は1日経ってもまだ開放的な気分でいた。3限が終わり、図書館で勉強する習慣などすっかり忘れ直帰。生協が混みすぎていてまともにお昼を食べられなかった私は割と空腹で家に着いた。

そのまま車から降りず事前調査に移った。まず周辺の回転寿司チェーンの調査。

近所にはないので車で行くしかないが、運転にちょこっと慣れてきた自分にとって移動はもはや苦ではない。行ける範囲にある安い回転寿司チェーン、3択。良い点悪い点考えてみた。

 

第1候補、はま寿司。

高校生のころよく行ったので記憶が新しい。なじみが深い。醤油の種類が多い。パイナップルがある。

最近平日ひと皿90円サービスが終了した。

 

第2候補、くら寿司

家族でよく行ったのでなじみが深い。皿が片付けられて便利。デザートが多い。シャリハーフがある。(私は常にダイエット中)

値段が100円じゃないものもあってメニューが難しかった。ちょい遠い。

 

第3候補、スシロー。

ネットで見るとおいしいらしい。

デザートが少なかったような。なじみない。ちょい遠い。高いやつもある。デザート少なかったような。

 

安舌なのでおいしさの差はわからない。100円皿が多く、車で行きやすそうなはま寿司に決定。うきうきです。

右車線側に店があり、もたつきながらも到着。

 

入店。平日15時、客もまばらでおひとりさまも3人ほどいた。ぼっち回転寿司に完璧なタイミング。すぐに席に案内されノータイムでタッチパネル注文ができた。事の運びがうまく、胸が高鳴る。1人席、初めて座ったがなかなか居心地がいいかもしれない。コンパクトな領域に醤油がちゃんと5種あってすごい。寿司に集中できる感が自習室みたいでよい。

 

ヒトカラのノリで5皿くらい一気に注文してしまった。1人回転寿司の作法、あってるだろうか。コースみたいに少量ずつ頼むべきなのか?研究課題だ。

待つ間にお茶を作る。猫舌なので冷ましておく。それでも手持無沙汰だったのでメニューを眺める。メニュー多くて楽しい。

1皿ずつ到着。思ったより種類が多くて、家族と行くときのように惰性で選ぶようなメンツはいなくて、選りすぐりのドラフトとなった。面構えが違う。久しぶりの回転寿司、血肉沸き踊る思いだ。

幸運だったのが、わたしの最も好きな魚ブリがあったこと。冬最高。はま寿司ありがとう。大好きブリおかわりした。

ちょっと時間かかってたのは山かけたらこ。これきたら席立ってお水取りに行こう、って待ってたのになかなか来なかった。軍艦は作るのむずいのかな。

 

結局寿司は9皿でストップ。普段友達と来ると、友達が6,7皿くらいで止まるので、正直10はいけるが歩調を合わせる。ひとりだと割り勘する相手もいないのでどこまでも行けてしまうのでは?と思っていたが、実際財布に見張られ自由に動けないものだ。1人暮らし学生なんてこんなものか。しかし選りすぐられた猛者ネタたちは十分私を幸せにしてくれた。あとはデザート。

 

100円寿司におけるデザートは必ず2種いきたいという自分ルールがあるので、2枠あるにしても、大変厳しいドラフトとなった。有力選手を紹介する。

回転寿司に来るとなぜか食べたくなる、大学芋。安いしなんかおいしそうに見える。

期間限定メニュー。期間限定はいつだって、どこだって、私を惑わせる。今回は秋限定ということで芋栗系デザートだった。絶対おいしい。

ケーキ系。ケーキ界で最も好きなミルクレープはなぜか回転寿司にレギュラーで存在する。最も好きなので、いつでも食べたい。

あと、大好きパイナップル。

 

今回選考を勝ち抜いた第一選手は、パイナップル。とりあえずパイナップル食べながら考えよう。

第2選手、チーズケーキ。そのときの気分だった。気分にあったものを選ぶって難しいのだが、このときはうまく選べてうれしかった。おいしかった。

 

終盤に差し掛かり、本日の中間振り返りをした。なかなか満足のいく選抜を終え、心はすがすがしくおなかは満たされている。

勝利のウイニング納豆巻きで締めくくった。軍艦より細巻派だが、はま寿司には両方あるのが心遣いを感じる点だ。

 

 

締めくくっていない。まだいけるパイナップル追加注文、これで試合終了。

1時間で1日分のカロリーを摂取する大満足な結果となった。

なんでもない平日の午後が幸せ溢れるひとときとなり、普段の漠然とした不安なども、忘れさせてくれた。ゆっくりさせてくれてありがとう、はま寿司。

 

退店。駐車場にあたしの車しかないんだが。あの店内、あの瞬間、一番満喫したのは私だったと、胸を張って言おう。

 

自己分析

最近、自分の興味が問われることが多い。

 

就活をするにも、卒論研究においても、とにかく興味を問われ、自分自身でも問いかけ、すっかり参っている。

自分の興味は自分が一番わかっているはずなのにこんなに悩むのは、興味なら何でもいいわけではないからだ。興味のある「業界」、「学術的な」興味を聞かれるけど、多分私は「業界」「学問」自体にあまり興味が持てていない。こんなこと、真剣に就活や研究をしている人には言えないけど。贅沢な悩みだ。

 

就活における自己分析は、性格を自分で把握したりどのように働きたいか考えたりするものだった。これは参加してよかった。少し面倒でも、同じ状況の人や先輩と話すと後ろ向きな気持ちが抑え込まれる。

インターンでも、短期間で働く大人の人とたくさん話して、働くことに対しては少し前向きになった。みんな建前かもしれないけど、割と明るく働いていて、いざ働き始めれば続けられるかもしれないと思った。就職するまでが大変なんだけど。

 

卒論に関してはとにかく時間が足りない。興味を絞るには本をたくさん読むべきなんだけど本当に読めていない。読んでも頭に入ってこない。もっと易しい文章が読みたい。来月にはテーマを絞らないといけないのでだいぶ緊迫した状況だ。理解しながら難しい本を読むのはすごく時間がかかるんだよ。

これに関しては割と個人戦だから、強い精神をもって模索しなければいけない。意識が低いので、教授や研究室の人に相談できないのはもうあきらめよう。まだそんな立場にいない。危機感を持て。

 

危機感は持つべきだけど(特に卒論)くよくよすることはない。若者には悩みがつきもので、若いうちにいろんなことを考えるべきだから、せめてこの悩みを謳歌しようと思う。この状況に関わっている周りの人、とくに家族に感謝して、自分なりの答えを出せたらいいなと思う。急げ。

 

夏が終わる

すっかり涼しくなり、夏の終わりというより秋の始まりという感覚がする。

今日は天気も良く風が涼しい。窓を開けているとめちゃくちゃ気持ちいい。さっき干した洗濯物がいい匂い。しばらく今日だったらいいのに、時間が進まなければいい。

 

明日から忙しくなるので実質夏休みは今日までで、やるべきことはたくさんあるのに心はのんびりしている。環境がいいからだな。

 

この夏何をしただろう、と思うと、毎年ちょっと落ち込むのはわかっているけど、振り返らないといけない。今年はなにをしたっけ。何も成し遂げてはいないが、あっというまだった。

 

7月の記憶はない。スケジュール帳を見返すと、ゼミ、バイト、レポート、就活、自分してはいろいろあったけどなんとかこなしていた。たぶんレポートはだいぶ手を抜いていた。

 

8月はほぼ遊んでいたのかな。始めの週は一番立て込んでいたけどまあ元気にやっていた。2週目、振るわなかった。これは忘れてはいけない、やらかしが一個あった。あまり落ち込まなかったが反省はしなくてはいけない。あと予防接種した。3週目、バイトも人との約束も毎日あって人とたくさん会った。4週目、旅行バイト人との約束、まだ元気。最終週、体調崩す、つけがまわってきた。たべすぎ。

 

9月バイト就活。インターン、即旅行。限界。帰ってきてから昨日まで、一人でいたいしいっぱい寝たいマインドで、やっと今日重い腰を上げてやるべきことやろうとしてる(やってない)。

 

振り返ると予定詰めたり人と会ったりバイトしたり、なかなか頑張った。体も頭もフル稼働の二ヵ月、反動が来るのも仕方ない。でももう休んでいる暇はない。この二か月、大事な大事な勉強を捨ててしまっていた。絶対に取り返さないといけない。

大幅な遅れを取り戻すため、きたる10月の発表のため。頑張って。

 

この夏会ってくれたすべての人に感謝したい。忙しくも楽しい夏だった。