最近のモヤ解決
自分の人格について。
人格は勿論一つなのだが、最近は特に、自分の人格の側面をたくさん使い分けている感じがする。
今、なぜ心が疲れているのか考えてみる。
最近の私
①卒論の担当教授と話すときの私。
②研究室の人と話す私。
③バイト先の店長と話す私。
④バイト先の後輩と話す私。
⑤バイト先の同期と話す私。
⑥バイト先の先輩と話す私。
⑦サークルの友達と話す私。
⑧サークルの後輩と話す私。
⑨高校の友達と話す私。
⑩恋人と話す私。
⑪家族と話す私。
⑫パン、工芸好き仲間と話す私。
⑬まだ会って間もない人と話す私。
⑭内定者としての私。
このうち楽に話せるのは⑤、⑨、⑩、⑪、⑫。
今までは人格の側面の使用量がバランスよくなっていたのかもしれないが、
最近は疲れる側面ばかり使っていて、
あまり会話を楽しめていない気がする。
すべてのコミュニティで自分100%を出すのは不可能だが、
あまりにも自分らしさを出せていなくて
自分の本質って何?になってしまった。
中学時代、人にどう思われるか、ということがとても気になっていた。
それが今も行動の根底に根付いているみたいで、
反感を買ったり迷惑になったりするようなことを基本しないところは
常識的でいいところだと思うけど
最近、人格の見え方まで操ろうとしてしまっていないだろうか。
特に後輩に対してだが、本当の精神年齢以上に見られたがっている気がする。
年が離れて若い子と接するようになり、
私は〇歳も年が上なのだから、しっかりしないと。って頻繁に考えている。
自分が年齢だけ上がって、中身はあまり誇れるような成長をしていないのに。
経験が少し多いだけで、社交性とか状況判断力とか、技術とか、育成力が高いわけではなくて気も利かない。
それなのに頼れる先輩と思ってほしくて
表面と中身がちぐはぐになっている。
思い返せば、純粋にバイトを楽しめなくなったのは
時間帯責任者に昇格してからかもしれない。
みんなのお手本になるように、と店長からいわれ、いつも通り雑談するのがうしろめたくなったし、言葉を選んで選んで、という会話が増えた。
本当に言っていい言葉か?と立ち止まるのは良いことだと思うけど
まだそれが体になじんでなくてもやもやする。
無邪気に笑うことが減った。
純粋なリアクションができなくなった。
自分は性善説でだれとでも仲良くなれて、純粋な人間だ、というつかの間の自負は
齢22にしてヒビが入ったらしい。
ここからは、建設的な将来に向けて私がやるべきことを考えてみる。
まず一時的に疲弊した心を最短距離で回復する。
人生に浮き沈みはあるが、小さな沈みは早く解決するに越したことはない。
自分をとりつくろわない。というととっても難しいことに見えるが、
①から⑭すべての自分を統一させろということではない。
ただ、どの人と対面しても同じ対応の人は気持ちがいいものだ。そうなりたい。
自分なりにできる範囲なら、
どの人にもリスペクトを持ち、ポジティブ思考で接することができれば、と思う。
リスペクトはマジ大事。1人で思考するときはよく思うが、
日常で対人でそれが表れているかといわれると微妙だ。
普段からリスペクト心掛けて会話すれば、大体の人からの自分の印象にブレが生じにくいのではないか。
あとは、発言のポジティブ割合を高めに。
自己肯定感がちょい低なのはデフォルトなのであまり問題ではなくて、
自分の人格がもともと持っているポジティブ思考の部分を
なるべく表面に出したい。
これらは、人にポジティブに見られたい、という取り繕いではなく
自分の人格にあるポジティブ部分を見てほしい。という気持ち。
人によって態度を変えるのは、差別ではなく区別。これはずっと持っている考えで、
これと両立できる方法だと思う。
敬語や会話のテーマを使い分けはするが、
自分の発言の基本スタンスは統一する。
あとは、できないことに正直に。繕うって疲れるって気づいたからね。後輩に尊敬されなくても、自分に正直なほうが楽でしょう。お姉さんぶらないで、対等に接すればいいの。わかった!?
ただ教授に対しては開き直りみたいになっちゃうので最低限やれることやって面談に行きましょうね、毎回…
自分なりの解決策が出せた気がする。
はー、少しすっきり。
卒論進めよう。