MOROHA 救いについて
私は宗教を信仰しているわけではない。
神も仏もいないと思っている。
歴史を学んでいるとわかるが、人びとは昔から救いを求めて神に祈る。仏を信じる。
しかし神や仏がいないなら何が人を救うのか。
人を救うのは、人の心だ、と思う。
MOROHAの曲を聞いて。
ほんと安易だけどとても心にすとんと落ちたので、言葉にしたくなった笑
本当に聴いてよかった。めちゃくちゃ感動した。たまたまファーストテイクが流れてきて、ラッパーっぽいと思って再生したら、なんだこれ。あまり聞いたことのないタイプだ。え。え。となっている間に、完全にひきこまれて号泣。こんな曲があるんだって、出会えたことに本当に感謝。
MOROHA - 革命 / THE FIRST TAKE - YouTube
その後、MOROHAのほかの曲も聞いたけど、もれなく号泣。
この人たちはすごい、私と境遇が似ていたり考えが似ていたりはしないのに、
この人たちの言葉、音で、こんなにも揺さぶられる心がある。
私は今まで曲を聴くとき、歌詞よりは音の気持ちよさ重視だった。
ヒップホップを好きになってからは割と歌詞も聞くが、それでも音ノリがよい曲は魅力的に感じてしまう。
MOROHAの曲は、言葉に耳を傾けたくなる曲だと思った。
画面から目、いや耳が離せなくなる。心地いいギターの、人の心に語りかけるメロディーライン。歌い方。この人の言葉、聴かなきゃ。と無意識に思うのかな。自然と手が止まってのめりこんで聴いてしまう。完全に作業中に向いていない。
MOROHAの言葉、考え方、世界観、生き様を、もっと知りたい。そんな風に思わせられるアーティストだった。新しい出会いすぎて興奮して文字に起こしている。
コメントにあった。
「斜に構えて茶化そうと思えば茶化せる。でも、真剣にやってきたやつほどMOROHAの楽曲は茶化せない」
呂布さんの言葉。世論の評価もここに詰まっていそうだなと思った。
自分はどちらでもなく、斜に構えた思春期でもなければ必死に何かに取り組めたこともそんなに思い当たらない、中途半端な奴で、
そういう人も世の中にはたくさんいると思うが、そんな人にも響くものがある気がする。
こんな思いで頑張っている人もいるんだ、こんなつらい経験をしてもくじけず前を向いている人がいるんだ、自分が信じる道をがむしゃらに進める人がいるんだ、と思って感動した。でもこれはそんな単純な気持ちじゃない。
焦燥感。わたし、こんなに頑張れていない。こんなつらい経験もしていない。成果もあげていない。自分が進みたい道もわからない。
誰にも影響を与えていない…?
気づきたくなかったことに気づかされて、頑張らなきゃ、と思わされて、でもそんなに頑張れなくて絶望。
え、どうしよう。
で、MOROHAが言う。「どのツラ下げて何処へ向かうの」
MOROHA『tomorrow』Official Music Video - YouTube
MOROHA『四文銭』Official Music Video - YouTube
MOROHAは、ただずっと前向いて努力し続けたことを歌っているんじゃなく、苦しみ、葛藤、つらかったこと、懺悔、マイナスなことも包み隠さず歌った。
そういうところが、たくさんの人の心をつかんで揺さぶったのではないかな、と書きながら思った。
言葉選びもうまい。自分の体験から、感じたこと、考えたことをうまく抽象的に落とし込んで、自分と全然違う人なのに、自分もMOROHAの景色を味わったような気になってしまう。きっと本人が味わった感覚の何分の一ほどだけど、数分で胸が締め付けられる。
どれも必死に作った渾身の曲という感じがする。どのアーティストだって全曲魂込めているだろうけど、なんか身を削って作っている感じ。こんなに必死に何かを伝えている。聴かなきゃ。となるのはだからかもしれない。
最初の話に戻ると、人を救うのは人の心だって思ったのはこの曲を聴いて。
MOROHA - 六文銭 / THE FIRST TAKE - YouTube
優しさって人によって違って、優しさを持つ人もそれを受け取る人も、本当にいろんなありかたがある。なぐさめるのではなく、一人で立ち上がれるようはげますことも優しさ。この優しさを「けなげさ、いとしさ、痛み、怒り」と表現する、うけとった側もすごく優しい。
いろんな優しさがあるから、それが嚙み合ったときすごく心にしみるのだなとも思った。
人の想いに救われてばっかりだ。
MOROHAにしか歌えないなと思ったのは
「人は救われない」と歌ったのに、「あの歌に救われました」といわれ、
憎しみの歌が救われた。
「人は孤独だ」と歌ったら、孤独な人が歌を聴きに集まって、
他人同士でよりそった。
という部分。
すごいことだ。と思うが、こんな風に、人の想いに救われることは自分の人生にすごく納得がいく解釈だった。
つらいこと、苦しいこと、怒りや悲しみ、自分の経験はそんなに多くないけど、いつだって人の想いに支えられてここまでやってきた。
自分一人では思いつかないことや気づけないことも、周りの人がいるから解決の糸口が見つかる。
吐き出した言葉を聞いてもらうだけで救われる心もある。
サークルがつらかったとき、サークル外の友達や家族には何も言わず、ひとりで抱え込んで、毎日泣いて夜は眠れなかった。
いろいろ頑張ってやっとサークル行かなくてよくなったあと、帰省した時に母に報告した。
「わたし、サークルやめたん。つらくて」それだけ言って涙があふれてきてしまって、それ以上は話せなかったけど、
「そっか。頑張ったね」って言って、泣いてるのに気づかないふりして料理してた。
そのときでやっと肩の荷が下りたというか、つらくなってしまったこと、途中でやめてしまったことへの罪悪感が救われた、ような気がした。
人生で救いが必要なタイミングで、どうすれば救われるのか。
神や仏は救い専門だが、救い専門の人はいない。
でも、自分が大切に思う人がいるのなら、自分を大切に思ってくれている人もどこかにいるはず。意外なところにも。
タイミングとか、環境とか、さっきのいろんな優しさとかが噛み合ったとき、
救われた、と思うのかなと考えた。
経験はまだまだ浅い人間初心者ですが。
普段から思うが、自分の言葉、表現で他人に影響を与えられる人って、本当にすごいなと思う。かけがえのない才能だ。
でも、MOROHAみたいにはいかなくても、わたしでも誰かの心を救えるようなこと、あるのかもしれない。今もたくさんの人のおかげで生きているように、自分も誰かの人生に少し関わって、小さなことでも救うことができたら、どんなにうれしいだろう。
アフロ、UK、あなたたちならどこまでもいける。とびきりの母国語でどこまでも届くよ。
名曲をありがとう。